倉田百三と庄原の英学

昨日は講演会。
http://www.city.shobara.hiroshima.jp/download/2203/dayori7.pdf
「学芸の気風」や「好学の精神」に溢れる熱心な聴衆を前に、「英学」の側から百三にアプローチする試みについて話した。
まだまだ十分に練られた方法論ではないが、英学史研究との接点を探ることを通じて、庄原で生まれた百三の持つ「英学の気(け)」を少しでも明らかにすることができればと思う。
取り上げたポイントは、以下の3つ。
1.百三作品の英訳3点:『出家とその弟子』『俊寛』『親鸞
『出家』を訳したグレン・ショーと、『俊寛』を訳した安藤貫一については、英学史の研究対象として、先行研究がある。
2.外来語資料としての百三作品4点:『歌はぬ人』『出家とその弟子』『愛と認識との出発』『父の心配』
荒川惣兵衛『外来語辞典』(冨山房, 1941)において、外来語の収集源として用いられた百三作品は4つ。なるほど百三の作品中には、日本語としてはまだこなれていない英語やドイツ語の使用が目立つものがある。
3.百三を育てた庄原・三次の風土:『光り合ふいのち』
この自伝的小説の中に、庄原高等小学校で英語を学んだこと、三次中学校でナショナルリーダーを読んだこと、などが綴られている。百三が生まれてすぐに廃校となった庄原英学校校舎は、高等小学校が引き継ぐ。英学校最後の校長も、しばらくは高等小学校で英語を教えたと言う。このあたりが庄原英学校と百三を結びつける接点であろう。
最後に『歌はぬ人』から、西洋文化摂取に関する百三の思いを引いて、彼の中にある外へ向う目と内へ向う目について考察した。この考察に大きなヒントを与えてくれたのは、少し前に『出家』を再読する講座を担当した同僚のコメント。
http://www.pu-hiroshima.ac.jp/renkei/files/20lecture/s200624.pdf
外に向うだけでは不十分であることは、英学を研究する精神に通じるものがあるかも知れない。