歴史をよむ

太宰治松本清張が同い年生まれであることは、「生誕百年」なる記念の年になって初めて知った。ま、勉強不足ということだけど、なんだか不思議な縁を感じるこの頃だ。
この季節になると、桜桃忌はあちこちで話題になる。僕が太宰の「桜桃」を読んだのは、そんなに昔のことではない。その読後の思いを表現するのは簡単なことではないな、と思っている。それくらい、読者の側に引き付けて読んだ、ということなのだが。
この作品に思いを寄せる人が多いことは、「桜桃忌」のネーミングだけでも十分に分かるが、その上で、積読部屋から『子供より古書が大事と思いたい』という本を手に取ってみると、このタイトルを付した古書界の巨人に、一層の親しみを感じてしまう。
そして、太宰を思いながら、清張を読む。
今読んでいる未完の書には、広島県三次市の、その古くからの豊かな風土を体現したような宿が登場する。場所が特定できるだけに、昭和初期に実在したかも知れないその地を探してみたくなる。
清張は、広島で生まれた人だ。
作中の宿が位置する県北の、地の酒が「辛口」かどうかは別として、霧の街の描写に唸りながら、後半を読み進めている。推理小説の中に、歴史研究のヒントを見出しながら。
データの裏づけが十分でないところは、周辺を固めた上で推論を展開する。そして、それを固めるための調査は、飽くことなく続けられる。推理小説を読む楽しみは、そこに何かしらの接点を見出すことのできる「歴史研究」を、豊かにしてくれるところだろう。ちょっとしたヒントが、連想の糸を紡いでくれる。
やめられない、とまらない、の世界だな、と思う。