広島から上京した人々

 日曜日は年の初めの英教史例会。明治期に東京外国語学校に置かれた第五臨時教員養成所に関する発表を聞き、その教育内容の詳細を、緻密な調査によりまとめられた資料によって学んだ。「資料はこう使って、こうまとめ、こうやって対象を歴史の中に位置づける」という、いくつもの「こうする」研究のノウハウを教えられた研究発表だった。
 資料中、臨教在学生の一覧に三次中学出身の人の名前を見つけた。記念誌『巴峡60年』に生徒時代の思い出を寄稿した人物だ。氏の中学卒業後の進路が分かり、広島の英学史に関する情報がまた一つ増えた。そして、明治期に上京した人々の志を思った。

 次の例会は広島。楽しみな発表が2本だ。

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「本のカバーを外し,そしてまたかける」【英学徒の隠れ家日記より】

 日付が変わり、朝になった。昨日の本をこたつの上で開いたときに、隣の積読部屋から同時に持ってきた本がある。出版に関する本が好きなので、どちらもお気に入りだ。
藝文往来
 著者は『昼間の酒宴』を出版した会社の創業者。『藝文往来』には、司修氏のことを綴った一節がある。司氏は『昼間の』の装幀を手がけた人だ。ちょっとした偶然が重なって、両書の因縁を感じた。
 著者・長谷川氏は、司氏との共同作業の中で「何度も足を運び酔いつぶれるうちに」「わが第三の故郷といえるほどの街となった」と、前橋のことを紹介している。(僕にとっての「第三の故郷」はどこかな。東京でたびたび訪れる、昨日書いた鍋の会の街は、そんな気持ちを抱かせてくれるところだ。一人でも飲みに行けるし、ね。)
 昨日の本と、今日の本、どちらも装丁に惹かれる。かつてブックカバーは読みにくいから外す(そして捨てる)ということを書いた(かな? 辞書のカバーだったかも)。実際、読むときは外すのだけど、常に手に触れる辞書を除き、あとで再びカバーをかけるようにしている。はずして捨てちゃう、と言っていた頃のことを、ちょっと恥ずかしく思い出しながら。

 今朝は昨夜と雰囲気を変えて、前に写真で登場したアルバムを聴きながら。
南から来た男

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