英学史:ニューズレターNo.69

支部ニューズレターNo.69を発行。
http://tom.edisc.jp/eigaku/newsletter_bn/newsletter69.pdf

広島英学史の周辺(35)

元旦に映画を見に出かけたのは初めてのことです。『山本五十六』。広島,英学とも無縁でないこの映画,世界をどう見るべきかを考えさせられました。▼その最中に悲しいニュースが届きました。副支部長の田村一郎先生に初めてお会いしたのは,千田町の広島大学総合科学部での例会だったでしょうか。後に比治山大学へお迎えし,先生のおだやかなお人柄と深い学識に触れる日々を送りました。お会いするたびに,いつも温かいお言葉をかけてくださった田村一郎先生,どうか安らかにお眠りください。▼庄原市田園文化センターには,庄原出身の作家・倉田百三の資料を集めた文学館が併設されています。その「文学館講座」として話をする機会に恵まれました(1月12日,1月26日)。1 回目は「英学史の中の倉田百三」,2 回目は「百三と『英語青年』」。▼倉田自身が「英学の人」というより,彼の周りに「英学の気(け)」が溢れています。その一つは代表作『出家とその弟子』の英訳(グレン・ショー)。出版時に『英語青年』に掲載された広告と福原麟太郎による短評。ショーの協力者・奈倉次郎のこと。わが学会の野村勝美先生は『出家』や『愛と認識との出発』に関するご論考を発表し
ていらっしゃいます。▼安藤貫一によって『俊寛』が英訳され,『英語青年』誌上に連載されました(大正11年〜14年)。連載をまとめた一冊(研究社刊)には,勝俣銓吉郎が序文を寄せ,流刑地で非業の死を遂げた俊寛と,出版を前に英国ワイト島で客死した安藤貫一のsimilarityに言及しています。こうしたあれこれが,倉田に「英学の気」が纏わりついていることを思わせます。▼ショーと安藤という,日本文学を海外に伝える上で欠かせない二人によって訳された百三作品は,日本の英学界にどのような影響を与えたのでしょうか。両氏の英文を,当時の英学徒が英文を書くお手本とした,と考えることはできるでしょう。▼百三の原作には,英訳する上での「構文」が見えてくるような日本語が随所にあります。例えば『俊寛』に,「わしをきらってくれ,きらってくれ。わしはそれに相当している。」(安藤訳:Hate me, do hate me! for I deserve it.),「わしを一人残すほどなら,むしろわしを殺してくれ。」(安藤訳:Kill me rather than desert me!)など。▼『英語青年』を参照するには復刻版が便利ですが,せっかくの機会なので,受講生の皆様には,大正期の現物を見てもらいたい。そう思って部屋の中を探してみると,薄い表紙に目次も記されたバックナンバーがいくつか出てきました。たまたま「大正16年1月1日発行」の号を見つけ,驚きました。大正15年12月半ばの校正の後に,大正天皇崩御(12月25日)を迎えたのです。そのため『英語青年』には,「昭和元年(1年)」の日付を記した号はありません。▼講座終了後,百三のことを庄原からもっと発信したいと取り組んでいらっしゃる研究者の方から,「百三コーヒー」を頂戴しました。百三の肖像画に「青春は短い」の言葉が添えられた切手とともに。▼倉田の関係資料を放り込んだ段ボール箱(私はこれを「百三箱」と呼んでいます)をひっくり返し,あれこれ準備をしながら思いました。「やっぱりこの時間が楽しい」と。▼厳しい寒さが続きます。どうか皆様ご自愛ください。(馬)