東京出張

土曜日は国立国会図書館。広島高師の初期のころの教授陣や卒業生の情報を収集中で、その一環の調査。検索して、閲覧を申し込んで、図書やマイクロフィルムが出てくるのを少し待って、必要なページは複写を依頼する。雑誌論文のオンライン複写というサービスもあるので、そちらも利用。キーワードで検索することに加え、手にした複写資料から芋づる式に資料を辿って集めるのも楽しい。今回は、広島高師の教育博物館に関する研究論文も見つかった。
こうした一連の流れの中で、図書館の中を歩き回り、読んだり考えたりしながら静かに過ごす時間が好きだ。合間に取る昼食は、いつもカレー(今回は3階の喫茶が休みだったのが残念。6階の食堂でなぜか味噌汁付きのカツカレー)。またうろうろした後は、1階の薄暗いカフェでコーヒーを飲みながら、手にしたばかりの複写論文に目を通す。
膨大な情報が詰まっているこの空間で、英語教育の歴史を中心に、その周辺的なテーマについて探る中で、自分の興味関心の核に迫っていくような気がする。「博物」や「百科」という言葉に惹かれるものを感じ、まさに「英学」を追っているのだなあ、と改めて感じたひとときでした。
◆◆◆
日曜日は日本英語教育史学会の1月例会(プログラムはここ)。文検で神田乃武の「メソッド」がどう具体化されたかという議論と、浜林生之助の伝記が生まれた経緯のワクワクするお話。2本の充実した発表を堪能し、続く懇親会も盛り上がりました。
寿岳文章が文検を受けたときの試験官が神田乃武だったというエピソード。中学時代の寿岳に英語を教えた広島高師の卒業生のこと。漢文の読みと英語の独案内に見られる訳読の共通点。独案内が関係代名詞の処理に苦心しているところ。研究書における孫引きのことや「自らを語る」文面のこと。子どもの頃から英語を教えることの賛否。こうした英語教育史をめぐる話題が次々と、本当にあれこれと飛び出し、語り合う懇親の場は楽しい。渾身の研究があるからこその面白さですね。まあときどき鼻毛処理法を真剣に論じたりすることもあるのだけれど。
二次会では、『北の街の英語教師』の著者の先生と、しばし浜林の残したスクラップブックについての議論。憲法起草文のあとに一つだけ、浜林生之助が新聞に書いた文章が貼り付けられていて、後はご子息の記事ばかり。生之助が昭和22年に亡くなった後、ご家族がそのスクラップブックを続けられた跡が感慨深いですね、と申し上げると、ちょっとうるうるされて感激してくださった東先生。伝記を書くための調査は本当に楽しかった、と話してくださいました。