意味の無い独案内

【英学徒の隠れ家日記より】

英学史研究者の一人として、聞き捨てならぬタイトルだ。意味の無い独案内だとお?
「意味が無い」という言葉を聞くと、悲しくなる。こんなことをしても意味が無い、と言う人がいる。その人は「意味が無い」というレッテルを貼ることで、「こんなこと」を拒絶し、否定する。ほんとうは、ただ「嫌いだ」と言いたいだけなのではないか。なら「キライ」って言えばいいのに。
意味はある。君が考えさえすれば。
意味は作るものだ。君のコンテクストの中で make sense するのさ。ふ。
(もちろん、「こういう観点からは重要性を持たない」という意味で、「意味が無い」という判断はあり得る。そういう正しい使い方の「意味が無い」を頭から否定するものではない。)
話が脱線しすぎた。「意味の無い」独案内の話。
ブース校正・矢島路久訳『ニューナショナル第一リーダ獨案内』東京書肆, 1887(明治20年).

明治期の独案内と言えば、英文の各単語にカナで発音を書き、語義を記し、漢文訓読式で訳文として適切な語順を示す番号を各語に付した「虎の巻」だ。
英語教育の歴史を探る上でとても興味深い独案内研究を続けようと思い、少し前から、手軽な値段でネット古書店に出ているものを集めるようにしている。今回手に入れた上記の本。これまでに見た独案内と違うのは、単語の上にはアルファベットの読みがカナで書いてある。下には単語の読み。例えば stay の上には「エスティエイワイ」下に「スティ」。語義を付さない独案内もあったのか。日本語に訳すことを目的としない学びが存在したということか。
だから、「意味の無い」独案内。
・・・と書こうとしたのだけれど、よく見ると、本文にはちゃんと各語の下の訳語と数字がふってありました。字が小さいのと、カタカナ書きの訳語が多いので、一瞬「意味が無い」ように見えただけ。レッスン前後の new words や spelling review のところだけが「意味の出ていない」箇所でした。