書きつづける理由

僕が読み続けた作家の一人、ボブ・グリーン氏に「書きつづける理由」というコラムがある。今日はそのタイトルで書くことにする。

このブログが扱う「英学史」という分野は、今、急速に学界の関心を集めている、と思う。その背景には、混迷する英語教育をどうする、という問題意識が、歴史に答えを求めようとする機運に結びついていることが挙げられるだろう。
その際、忘れてはならないことがある。
英学や英語教育の歴史を扱う学術組織(つまり、関連学会)が、長年続いているから、多くの情報がそこにある、ということだ。それこそ命懸けで支えてくださった方々がある。こうした献身的な努力が厳然と横たわっている、ということを忘れてはならない。
学会運営は「名人」の仕事だ。誰にでもできることではない。だから、ほんとうに、頭が下がる。

年明けに、本部学会の「会報」が届いた。首脳陣の「年頭の挨拶」と、編者による「編集後記」に、苦悩の跡を読み取ることができる。会員の高齢化、そして、実働部隊の人材不足が深刻である、ということ。
一学会員として共感を覚えつつ(実は、他人事ではない)、でも今は、とりあえずは静観の構えでいる。

今日のタイトルの「書きつづける理由」。
訳者の井上一馬氏がこう訳した言葉の裏に、少なくとも僕は「完全に伝え切ることはできないから、書き続ける」というニュアンスを読み取った。(もちろん、グリーン氏が「書いたから、良かった」と思い続けているだろうことも。)
そう、だから書き続けよう。

先の「会報」には、合同大会共催学会の事務局長氏による、秀逸の「振り返って」の文面がある。こうした抑制の効いた全うな語りも、編集子をして「羨ましい」と言わしめた理由かも知れない。
ならば、そこから読み取れるものを、一緒に考えていこう。
会員や会を支えてくれる人々の顔を思い浮かべながら仕事をする、事務局としての矜持がそこにあるから。