一人も好きで

 久し振りに東京へ出掛け、2日間を調査と資料収集に費やした。

 訪れた大学図書館では、事前に閲覧希望を出しておいた書物の保管の丁寧さに感動した。また、かつてそこで教鞭を取った宮田幸一氏の著作や旧蔵書を手にする機会に恵まれた。

 宮田氏の言語への深い洞察が、それを人に説明する「噛み砕き」に結びつく。語彙を「語囲」、疑問文を「質問文」、品詞を「単語種」と言い替えた人だ。彼の言う「応用文法学」を、少しずつ理解していきたいと思った。

 まったくの偶然だが、調査を終え、帰途に立ち寄った神保町で『ヴァンドリエス言語学』を手に入れた。

 2日間通った国立国会図書館では、多くの資料を閲覧し、複写した。ふだん目にする機会のない無数の論文集から、キーワード検索でヒットした論文の「オンライン複写」を申し込む。本当はオンラインですぐに中身が確認できれば嬉しいのだけど(コピー代も、紙も減らせるのに)、これは各地で進行中のリポジトリの整備に期待することにしよう。

 前にも書いたが、書誌検索専用のパソコンから、そのままインターネットが使えるようになれば、と思う。そうすれば、館内検索の端末席は、すべて研究用のデスクに早変わりだ。

 自慢ではないが(いや、自慢するが)、勤務する大学の図書館では、検索用のパソコンから自分のIDを使ってインターネットに入ることができる。館内に無い資料の所在を確認したり、ウェブメールを活用してメモや原稿も書ける。もう一つ魅力がある。無線LANだ。ノートパソコンを使って書き物をしている最中に、その場で館内外の情報検索ができる。こうした整備が各地の図書館で進む中、国立国会図書館では、まだそれができない。

 しかし、日本最大の図書館でなければ得られない情報も膨大だ。だからこそ、その有効活用のために、一層インターネットとの融合を望みたい。検索用パソコンをネットに繋ぐか、あるいは無線LANの導入によって、無限の資料をさらに活かす環境が実現すればいいな、と願っている。

(そういえば、4ヶ月ぶりに乗った新幹線で、無線LANのアナウンスを聞いた。東京大阪間は利用可能ということだ。それが利用できるサービスと契約していないので、電波を探知しただけで、相変わらず僕はウィルコムを繋いだけれど。)

 国立国会図書館での調査中に思ったこと。一度にできる複写や図書の貸し出し件数に限りがあるので、複写物の会計を終えたり、借りた本の返却によって制限件数を下回らなければ、「次」の依頼はできない。そのため、様々な場面で待ち時間が生じる。その間、館内のあちこちを行き来しながら、すでに手に入れた複写物や手持ちの資料を読み、書きかけの原稿を進めるためにあれこれ考える。

 だいたい複数のテーマを抱えてここに来るのだが、不思議なことに、別々に追っている事柄が、ひょんなことから結びついていくことがある。

  明治期の英学校、慶應義塾、ICT、ムードル、通訳法、句・・・

 これらは集めた資料のキーワードのほんの一部だ。検索とネットワークの面白さを体感し、館内を歩き回り、キーワードが頭の中に行き交う「ひとりの時間」を過ごす。

 そして調査の後は、友との語らいを楽しんだ。「僕たち」の同窓会に乾杯だ。

 一人で黙々と研究を重ねた先輩を思い、「人恋しくて一人も好きで」とうたった歌人を思い、一人で過ごす大切な場所を詠んでみる。

 本当に充実した東京の日々だった。今日からまた、ここで得たものをまとめ、世に問うために書き続けたい。